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2026(令和8)年 11月3日 火曜日

リビングサーラ

社会

写真で巡る渥美半島の足跡

㊶「新町交差点の今昔」/生活環境の流れに応じ町も変化

写真で巡る渥美半島の足跡
1963年の田原新町交差点とバス停(田原市博物館所蔵)

 上の写真は田原新町交差点で、新県道と本町通りからの道が交差する地点である。舗装されたのは1958(昭和33)年前後で、交通量は少なく、昭和30年代初め頃までは牛車が行き交っていた。二七の市も萱町あたりの県道沿いで開かれていたほどである。

 本町通りから新しい県道(現在のまつり会館の場所)へとつながる広小路通りができたのは25(大正14)年。これにより町内の人や車の移動は便利になり、住民の生活空間も広がった。

 写真の左端には新町のバス停が見える。昭和30年代には、田原駅から発車して西へ向かうバスが、萱町バス停に止まり、新町バス停にも停車した。少し遠方へ出かける際には豊鉄バスの利用が一般的。最寄りにバス停があることが重要だった。

 県道沿いには、八百屋、魚屋、肉屋、衣料品店など生活必需品をそろえる店が軒を連ねていた。金融機関も東海銀行、蒲信、商工信用が店を構え、変遷を繰り返して今に至っている。

 63年に登場したシロキヤスーパーは、人の流れと消費生活を変えた。豊富な品ぞろえと安い価格は画期的で、さまざまな店を一か所にまとめたような便利さと、これまでにない買い物の楽しさが生まれたように思う。

 高度経済成長とともに社会に適応した形態でもあったが、社会・経済の変化とともに、姿を大きく変わることになる。幼いころに親しんだ道路や地域が様変わりしたように、生活環境の流れに応じて、町の形も変わり続けていくのだろう。

写真で巡る渥美半島の足跡

2026/11/03 のニュース

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