11月7日、豊橋市の牟呂地域福祉センターで「親子で楽しむヴァイオリンコンサート」が開かれる。クラシックの名曲からジブリの歌まで、子どもと一緒に気軽に音楽に触れられる演奏会だ。舞台に立つのは、ニューヨークを拠点に20年余りバイオリンとビオラのフリーランス奏者として活動し、2025年に日本へ帰国した鎌苅由衣子氏。いまは新城市作手の山あいで暮らす。
神奈川県鎌倉市で生まれ育ち、3歳でバイオリンを始めた。東京芸術大学を卒業すると卒業式を待たずに渡米し、マンハッタン音楽院の大学院で学んだ。その後に足場を築いたニューヨークでは、オーケストラや室内楽、ソロにとどまらず、教会の礼拝、ブロードウェーのミュージカル、ロックコンサートのサポート、テレビ番組の撮影と演奏の場を広げ、U2やミック・ジャガー、ビヨンセのステージにも立った。世界中から腕利きが集まる競争の激しい街だが、努力を続ければ公平に機会を与えてくれる場所だったと振り返る。
一方で、第一線を走り続ける日々は、猛スピードのジェットコースターに必死にしがみつくような感覚でもあったという。後半の数年は主にミュージカルの舞台で弾き、タイムズスクエア周辺へ通った。きらびやかなネオンと観光客の人波の中で、ふと「目の前のビルが全部木で、人が全部シカだったらいいのに」と思ったという。全力で駆け抜ける中、心はいつしか大自然の癒やしを求めていた。
コロナ禍の直前、ミネソタ州に住む米国人ドラマーの現在の夫と出会い、同州に移った。感染拡大の中で大切な人を亡くす知人が身近に相次ぎ、社会の分断も目の当たりにした。自宅周辺でも銃声が響くようになり、2歳を前にした娘に音の正体を聞かれて、花火だとごまかしたこともある。わが子にうそをつき続けたくない――その思いが、暮らしを見つめ直すきっかけになった。
その経験から、鎌苅氏は「これからの世界に必要なのは激しい戦いではなく、傷ついた心をそっと包み込むような癒やしだ」と確信したと語る。近年は医学会や病に悩む人に向けた演奏、寺での演奏、親子向けの演奏など、人の心に寄り添う活動を重ねてきた。
作手は、両親が約30年前に移り住んだ土地だ。山を切り開いて家を建て、井戸を掘り、化学物質を流さない循環型の暮らしを営んできた。夏の夜はヒグラシの声を聞きながら瞑想(めいそう)し、先日はシカの群れを目にした。ニューヨークで思い描いた光景は、この山あいで現実のものになった。
帰国後は夫と2人で音楽プロダクションを立ち上げた。ロックのツアーを経験し、パーカッションや音響、サウンドデザインに通じる夫と自ら音を作り、クラシックにとどまらず即興や電子音響、寺の念仏との融合、ギタリストやピアニストなど他ジャンルの奏者との共演にも取り組む考えだ。
日本での演奏活動は、まだスタートラインに立ったばかりだという。7日のコンサートでは、至近距離で飾らない生の音を届ける。分断や憎しみ合いが広がる時代だからこそ、音楽を通じて互いを大切に思う心を子どもにも大人にも伝えたいと話す。ニューヨークの第一線を駆け抜けた奏者が、作手の山で新たな音楽の歩みを始めている。